ナーガールジュナ(龍樹)
すべてが「空」なら、 この世界は何もないのと同じなのか?
『中論』で「空」と「縁起」の論理を磨き上げ、大乗仏教の哲学を決定づけた南インドの論師
- 空
- 中論
- 縁起
- 八不中道
古い仏教の学問が頂点に達したころ、名もない人々が新しい経典を生み出しつつあった。 — ひらく
時代の空気
紀元2世紀後半から3世紀の南インドは、デカン高原のサータヴァーハナ王朝(前1世紀-後3世紀)が交易と仏教保護で栄えた時代だった。ローマ帝国とのインド洋交易、北のクシャーナ朝、東南アジアへの海路が、貨幣と僧院を行き来させる。仏教は部派仏教(特に説一切有部)が主流で、阿毘達磨の精緻な法分析が学的に頂点に達していた。一方で般若経をはじめとする大乗経典が無名の編者たちによって編まれつつあり、菩薩道と空の語が新しい流れを起こしはじめる。婆羅門教ではヴェーダ祭祀がなお有力だった。
01友は斬られ、ひとりが残った
若き日のナーガールジュナに、こんな伝説がある。彼は三人の友とともに、姿を隠す術を手に入れた。四人はその術で王宮に忍び込む。そして王の後宮で、勝手放題にふるまったという。
だが、遊びは長くは続かなかった。三人の友は捕らえられ、斬られた。ナーガールジュナただ一人が、姿を隠したまま生き延びた。
そのとき彼は深く悟った、と伝えられる。「諸欲は苦の因である」。欲望こそが、苦しみを生む根なのだ、と。彼はそのまま出家を決意したという。
この話は後の時代の伝記に載るもので、どこまで本当かは分からない。それでも、問いは残る。すべてを手にしていた青年は、なぜすべてを捨てたのか。しかも彼はのちに、「一切はである」とまで言い切る人になる。その言葉の意味にたどり着くために、時を事件の前へ戻そう。
02学び尽くした少年
2世紀ごろ、南インドに一人の男の子が生まれたと伝えられる。婆羅門(バラモン)という、司祭の身分の家だった。名はナーガールジュナ(Nāgārjuna)。漢訳では龍樹と書く。「ナーガ」は龍(蛇の神)、「アルジュナ」はアルジュナ樹という木の名前である。
生まれた場所も年も、実ははっきりしない。ヴィダルバ地方とする説は、後の伝承の一つにすぎない。生きた時代も、おおよそ150年から250年ごろと広く推定されるだけだ。彼の人生の多くは、伝説の衣に包まれている。
それでも伝記は口をそろえて言う。この少年は、恐ろしく物覚えがよかった。若くして吠陀という聖典を修めた。さらに諸々の論、天文、占星、医学、工芸まで学び尽くした。婆羅門の学問の、ほぼすべてである。
だが、学問を極めても、人が満たされるとは限らない。有り余る才の先に、あの王宮の事件があった。友を失った彼は、仏教の門をたたく。そこで待っていたのは、当時の仏教の「最先端の学問」だった。
03経典を読み尽くし、竜宮へ
出家したナーガールジュナは、北インドの仏教僧院で学んだと伝えられる。そこで三蔵(さんぞう)を修めた。仏の言葉である経、僧の規則である律、その解説である論。当時の仏教の書物の、すべてに当たる。
当時の主流は説一切有部という学派だった。世界を細かな要素(法、ダルマ)に分けて調べる学問、阿毘達磨(アビダルマ)が頂点に達していた。有部は言う。その要素は、それ自体として実在する、と。この考えが、のちに彼の批判の最大の的となる。
彼は三蔵を読み尽くした。それでも満足しなかった、と伝記は言う。さらなる経を探し求めていたとき、物語は不思議な場面に入る。大龍菩薩(だいりゅうぼさつ)という龍が、彼を海の底の竜宮へ案内した。そこに秘められていた般若経などの大乗経典を、彼は授かったという。「龍樹」の名の由来とも言われる伝説である。
むろんこれは後の時代の物語で、史実の証拠ではない。だが、たとえ話としては実像を映している。彼は当時生まれつつあった新しい仏教、大乗仏教の経典に出会ったのだ。古い分析の学問と、新しい経典が語る「空」。この二つがぶつかる場所から、彼の論理が立ち上がる。
04『中論』――八つの否定
主著は(根本中頌)である。27章、約450の詩からなるサンスクリットの論書だ。冒頭の帰敬偈に、思想のすべてが凝縮されている。「不生亦不滅、不常亦不断、不一亦不異、不来亦不出(生ぜず滅せず、常ならず断ならず、一ならず異ならず、来らず出でず)、能くこの因縁を説く者、諸仏の中の第一なり」。八つの否定。のちに八不中道と呼ばれる論理の骨組みである。
相手の主張はこうだった。世界の要素は、それ自体の本質を持って実在する。この本質を自性という。ナーガールジュナは問い返す。もし物事がを持つなら、他の何にも頼らずに存在するはずだ。ならば、何かから生まれることも、変わることもないはずではないか。
だが現実の一切は、条件がそろって生まれ、条件が変われば変わる。これを縁起という。ゆえに物事は、固定した本質を持たない。それが「空(くう)」である。空とは「何もない」ではない。「それだけで独り立ちしているものは、ない」ということだ。
衆縁より生ずる法、我は即ち是れ空と説く
この偈(詩)には続きがある。「亦た是れ仮名、亦た是れ中道の義」。空はまた仮の名であり、中道の意味でもある、と。だがこの教えは、すぐに激しい反発を呼んだ。すべてが空なら、仏教そのものが崩れるのではないか?
05空だからこそ、成り立つ
対論者の批判はこうだ。一切が空なら、四諦(苦・集・滅・道という四つの真理)も成り立たない。仏陀もいないことになる。おまえの説は、仏教を壊す、と。
ナーガールジュナの返答は、攻守を入れ替える一撃だった。「空が成り立つがゆえに、一切が成り立つ。空が成り立たなければ、一切は成り立たない」(観品)。もし一切が固い本質を持って固まっていたら、変化は起きない。苦しみが消えることも、人が仏に成ることもない。空だからこそ、変わることができる。救いの道は、空の上にしか立たないのだ。
この構えを支えるのが二諦、二つの真理である。ふだんの世界の真理(世俗諦)では、物はたしかに在り、因果も言葉も働く。究極の真理(勝義諦)では、一切は自性なく空である。大事なのは、ふだんの世界を否定しないことだ。仮の世界を認めたまま、その本当の姿を見る。二重の見方である。
では、彼自身はいったい何を「正しい」と立てたのか。その答えが、また人を驚かせる。
06「私は何も主張しない」
彼の論じ方は独特である。自分の説を立てて証明するのではない。相手の主張を、相手の前提のまま押し進める。すると内側から矛盾があらわれ、相手の立場はひとりでに崩れる。(きびゅうろんぽう)、プラサンガと呼ばれる方法だ。
「私は何も主張しない」と彼は言う(『廻諍論』第29偈)。何かを主張として立てれば、それがまた固定した立場になってしまう。否定の手つきだけを残して、彼はどの足場にも立たない。
『中論』のほかにも、多くの書が彼の名で伝わる。空を十二の門から論じた『十二門論』。論敵に答えた『廻諍論』。『空七十論』『六十頌如理論』。そして南インドの王に宛てたと伝わる倫理の書、『宝行王正論』と『勧誡王頌』。王に宛てた書――実は晩年の彼のかたわらには、一人の王がいたと伝えられている。
07王の友、山の上の最期
伝承によれば、彼は南インドの(アーンドラ王朝)のある王と、深い親交を結んだ。『勧誡王頌』で、彼は王の道と仏の教えの両立を説いたとされる。
晩年はシュリーパルヴァタ(吉祥山)という山に住んだと伝えられる。現在のアーンドラプラデーシュ州、ナーガールジュナコンダの地とする説がある。そこに大きな寺院を建て、教えることと書くことに専念したという。
史実としての死因は分からない。だが『龍樹菩薩伝』や『大唐西域記』といった後の書物が、一つの伝説を残した。サータヴァーハナ王の息子(あるいは敵対する王子)が、不老長寿を願った。その母は願いを止めるため、ナーガールジュナに首を献じるよう頼んだ、という。伝えでは、彼は草の葉でわが首を切ったとも、刀で切り落とされたともいう。その首から乳が噴き出し、将来ふたたび生まれるという予言とともに果てた、と。伝説性が高く、史実ではない。
それでも、思い出してほしい。若き日の彼は、友が斬られるなか、姿を隠して死をまぬがれた人だった。伝説の中の晩年の彼は、求めに応じて自らの首を差し出している。二つの場面のあいだに、「空」の思索があった。固定した「私」など、どこにもない。それでもの世界の中で、為すべきことを為す。あの事件が生んだ「なぜ」に、彼は生涯をかけて答えたのかもしれない。年代としては250年ごろまでに没したと推定されるが、没年も没地も史料の上では確定できない。
衆縁より生ずる法、我は即ち是れ空と説く。
08考証と後世への射程
最後に、伝説の衣の内側を学問の目で確かめておく。生没年は諸説あり、広く取って ca. 150–250 CE 程度の推定にとどまるのが学界の一般的な理解である。生地についても、ヴィダルバ地方とする後代の伝承は一候補にすぎない。伝記の主要典拠である『龍樹菩薩伝』は伝鳩摩羅什訳(5世紀)であり、青年期の放蕩伝説も竜宮の伝説も、後代の伝記における説話 ― 後者は聖典権威づけの説話 ― であって史実の直接証拠ではない。ただし竜宮伝説は、ナーガールジュナが大乗仏教(当時形成途上の新興仏教運動)の経典、とくに般若経群に触れ、これを既存の阿毘達磨と対比して新たな体系を築いたという実像を映していると読める。また『十二門論』『廻諍論』(ヴィグラハヴィヤーヴァルタニー)『空七十論』『六十頌如理論』『宝行王正論』(ラトナーヴァリー)『勧誡王頌』など彼に帰せられる著作の多くについて、同名異人や後代の仮託の可能性が学術的に議論されている。親交を結んだとされるサータヴァーハナ朝の王も、Gautamīputra Śātakarṇi 説、Yajña Śrī Śātakarṇi 説などがあるが(両者は別王)、比定自体が未確定である。
論証法の系譜。帰謬論法(プラサンガ、prasaṅga)は、後のでプラサンギカ派(ブッダパーリタ、チャンドラキールティ)とスヴァータントリカ派(バーヴァヴィヴェーカ)に分かれる論争を生んだ。前者は帰謬のみを徹底し、後者は自立論証も必要とする立場である。チベット仏教ではプラサンギカが正統として採用された。
東アジア仏教で最も読まれた伝ナーガールジュナの論書が(だいちどろん、マハープラジュニャーパーラミター・シャーストラ)である。100巻に及ぶ膨大な般若経の注釈書で、(344-413)の漢訳のみが現存し、サンスクリット原典は伝わらない。著者がナーガールジュナ本人か否かは学界で議論がある(ヨーロッパ仏教学では、中国撰述説や複数著者説を提示する研究もある)。ただし東アジア仏教では伝統的にナーガールジュナの著作として扱われ、大乗仏教の百科全書的な基本論書として読まれてきた。日本の空海『秘密曼荼羅十住心論』、最澄、そして諸師まで、『大智度論』からの引用は無数にある。(じゅうじゅうびばしゃろん、ダーシャブーミカ・ヴィバーシャー)も鳩摩羅什訳で伝わる重要な論書で、華厳『十地経』の注釈だが初地・第二地で筆を置いた未完の書である。易行道(いぎょうどう、諸仏菩薩の憶念や称名によって不退転を得る平易な行)と難行道(なんぎょうどう、自力の菩薩行)を対比する易行品が含まれ、これを曇鸞以後に浄土往生の道として読み換えた解釈が、後世の浄土教(曇鸞・善導・法然・親鸞)の理論的根拠となった。親鸞はで七高僧の筆頭にナーガールジュナを置いている。
影響は、後のインド仏教全域を覆った。直接の弟子(提婆、170頃-270頃)が『四百論』で中観派の論理をさらに磨き、5-6世紀のブッダパーリタ(仏護)・バーヴァヴィヴェーカ(清弁)・チャンドラキールティ(月称、7世紀)が中観派を発展させた。ヨーガーチャーラ(瑜伽行派、唯識派)のアサンガ(無著)・ヴァスバンドゥ(世親)らは、三性や阿頼耶識を軸にナーガールジュナとは別系統の大乗を展開しつつも、空の論理に応答しながら議論を重ねた。チベット仏教では、ナーガールジュナは「第二のブッダ」と呼ばれ、ツォンカパ(1357-1419)のゲルク派の理論的基礎となった。ダライ・ラマ法王の教学はチャンドラキールティ流の帰謬論法に依拠する。東アジア仏教では、鳩摩羅什訳の『中論』『十二門論』と『百論』(アーリヤデーヴァ著)の三論を基礎にが成立した。天台智顗の三諦円融(空・仮・中の三諦が互いに円融する)は、ナーガールジュナのを発展させた天台独自の体系である。華厳・禅・密・浄土、いずれの東アジア仏教諸派もナーガールジュナを理論の基盤に置く。真言宗の空海はで『大日経』「具縁品」および『大日経疏』に依拠して六大説を立てつつ、大乗の空の論理をその背景に置く。近代以降、西洋哲学との対話においてもナーガールジュナは中心的な位置を占めている。西田幾多郎の、鈴木大拙の、西谷啓治の空の立場、いずれも中観の論理構造を背景に持つ。英語圏ではトーマス・カスリスやジェイ・ガーフィールドらの研究によって、分析哲学・ウィトゲンシュタイン・デリダのとの比較哲学が展開されている。一人の論師が、大乗仏教2000年の骨格を決めたのである。
冒頭の問いに戻ろう。すべてが空であるとは、何もないということなのか。ここまで読んだあなたなら、もう自分の言葉で答えられるはずだ。では、最後にもう一つ。あなたが「わたし」と呼んでいるものは、何にも寄りかからず、それだけで立っているだろうか。
09主要な出来事と著作
- 南インドの婆羅門家に生まれる(生没年には諸説あり)
- 吠陀・諸学を修めたのち、北インドの僧院で仏教三蔵を修める
- 大乗経典(般若経など)に触れ、独自の論書を展開(竜宮伝説)
- 『中論』『十二門論』『廻諍論』『空七十論』『六十頌如理論』など主要著作
- 『大智度論』『十住毘婆沙論』(伝ナーガールジュナ、漢訳鳩摩羅什)
- サータヴァーハナ王との交遊、『宝行王正論』『勧誡王頌』
- シュリーパルヴァタ(吉祥山)に住したと伝える
- 没と推定される(没地・没年ともに確定しない)
- 弟子アーリヤデーヴァから月称まで中観派が展開
- 鳩摩羅什漢訳で三論宗成立、チベット仏教ではゲルク派の根本に
残した思想の輪郭
- 空 ― 一切は自性を持たない、独立の実体として成立しないという究極の真理
- 縁起 ― 一切は因縁条件によって生ずる、空と縁起は一つの事態の両面
- ― 不生不滅・不常不断・不一不異・不来不出、八つの否定による中道
- 二諦 ― 世俗諦と勝義諦を区別しつつ両立させる、空と因果の同時成立
- 帰謬論法 ― 自分では主張せず対論者の前提から矛盾を導く、プラサンガの方法
- 中観派の祖 ― アーリヤデーヴァ・仏護・清弁・月称へと続く学派の源流
- 易行道・難行道 ― 『十住毘婆沙論』で浄土系の理論的根拠を提供
- 第二のブッダ ― 東アジア・チベット・ベトナム・日本まで、大乗仏教の事実上の体系化者
つながり
- 空海(弘法大師)
継承 — 遠く日本で、龍樹を付法の祖師に仰ぎ、空を曼荼羅の世界観に統合した僧がいる。
- 道元
継承 — 中観の空の論理を、坐禅の実存として体験的に引き受けた禅者が日本にいる。
- シャンカラ
対比 — その空を「一切を否定する虚無論」と呼び、絶対者の実在を立てた論敵がいる。
- ゴータマ・シッダールタ
先駆 — 「第二の仏陀」と呼ばれた人が論理化したのは、この人の説いた縁起だった。
さらに読むならFurther Reading
ナーガールジュナ(龍樹)の思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。
入門龍樹論集 (大乗仏典14)
ナーガールジュナ / 訳: 梶山雄一、瓜生津隆真 / 中公文庫
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さらに辿るならExternal References
ナーガールジュナ(龍樹)を別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「龍樹」項
WikipediaEnglishWikipedia English — "Nagarjuna"
Stanford Encyclopedia of PhilosophyEnglishStanford Encyclopedia of Philosophy — "Nāgārjuna"
Internet Encyclopedia of PhilosophyEnglishInternet Encyclopedia of Philosophy — "Nagarjuna (c. 150—c. 250)"