米津玄師
「普通の人になりたかった」と言った人が、 9年後に選んだ言葉はなにか。
「普通の人になりたかった」と言った歌い手は、9年後「水になじまない」と言い直した。言葉を選び直し続ける一人の書き手を、賢治と宮崎からのつらなりのなかで読む。
- 違和感の比喩
- 海水魚と淡水魚
- 没頭
- 言い直し続けること
- 系譜の継承
一人の部屋で作った歌が、国じゅうに届くようになった時代 — ひらく
時代の空気
1991年生まれの米津玄師が創作を始めたころ、日本ではバブル崩壊後の停滞が長い日常になっていた。学校と家庭の外側に、ニコニコ動画、VOCALOID、DTM、匿名投稿の文化が広がり、楽曲はCD店だけでなく画面越しに届くようになった。2011年の東日本大震災、スマートフォンとSNSの常時接続、2020年のコロナ禍を経て、平成末から令和の音楽は、個室の制作と巨大なタイアップ、国内の閉塞感と海外配信が同じ場所に並ぶ環境になった。
主役ではない子を選んだ
2020 年の夏。『Lemon』を国じゅうに届けた歌い手が、新しいアルバムの 1 曲目について語った。曲の名前は「」。宮沢賢治の童話『』に出てくる、死んでしまう少年の名前だ。
ふつうに考えれば、歌っているのは主人公のジョバンニだろう。親友を亡くして、残された側の子。だが米津玄師の答えは違った。
歌っている人はジョバンニではなく、どちらかというとというイメージです。ザネリはいじわるな子で、カムパネルラが死ぬ直接的な原因になってしまった人。自分はザネリにすごく感情移入する部分があるんです。
主人公ではない。親友を亡くした子でもない。友だちが死ぬ原因を作ってしまった、いじわるな脇役のほう。ヒットの真ん中にいた人が、なぜそちらに自分を重ねたのか。
手がかりは、彼が 9 年かけて言い直してきた、ひとつの感覚にある。
「普通の人になりたかった」
2015 年、24 歳の米津は雑誌のインタビューでこう語っていた。「俺はずっと、」(ROCKIN'ON JAPAN 2015 年 11 月号)。むずかしい話ではない。みんなと同じになりたかったのに、なれなかった。それだけのことを、彼はそのまま言葉にした。
徳島の子ども時代から続く感覚だと、本人はくり返し語ってきた。学校になじめない。人とうまく話せない。だから一人で曲を作った。パソコンだけで音楽を組み立てる という方法で、「ハチ」という別の名前で、顔を出さずに曲を投稿した。
9 年後の 2024 年、33 歳になった彼は、同じ感覚を別の言葉で言い直す。
人間だという自意識があった。海水魚のなかに淡水魚が一人いるみたいな、自分は何かが間違っているんだろうなという感覚
淡水魚は、海水のなかでは生きられない。ただ彼は、ここで死の話をしていない。自分が悪いのでも、まわりが悪いのでもなく、いた場所が合わなかっただけ。そう言い直している。
言葉は変わった。けれど本人の語りを並べるかぎり、感覚のほうは動いていない。同じ場所に、別の比喩で戻ってくる。では、この感覚を抱えていた 10 代の彼を、何が支えていたのか。
十代の夜と、一篇の詩
10 代のころ、彼はひどく弱っていた時期があったという。2023 年のインタビューで、彼は「」という長い詩について語っている。宮沢賢治の詩集に入っている一篇だ。『春と修羅』は 1924 年、賢治が生前に自費出版した唯一の詩集である。
10代の頃、自分の目の前に転がっている小さな石につまずいて頭を打って死んじゃうんじゃないかとか、それくらい神経過敏になって衰弱していた頃に、自分を救ってくれる一節だったんです。
同じインタビューで彼は、その一節が「あったのとなかったのでは、大きく自分の人生は違っていただろう」と続けている。さらに「あるいはもしかすると、この世に生きていなかったかもしれない。それくらい自分の中で本当に大きなもので」とまで言った。
ザネリに自分を重ねた歌い手は、10 代の夜、同じ作者の詩に支えられていた。賢治は、米津にとって二重の存在である。自分と似た場所に立つ脇役を書いた人であり、いちばん弱っていた時期の足場をくれた人でもある。
そしてもう一人、その賢治を深く読み込んできた人が、彼の前に現れる。
父親のような人
1997 年、小学 1 年生の米津は、映画館でを観た。作った人の名前は宮崎駿。その人と初めて会ったのは、21 年後の 2018 年である。
2023 年公開の映画『君たちはどう生きるか』の主題歌「」を、米津は 4 年かけて書いた。彼は宮崎を「偉大な師匠として、もっと言うと、父親のような存在として」と語る。そして、宮崎に求めていたものをこう言った。「ちゃんと自分のことを否定してくれて、それと同時に『お前は生きていていいんだよ』と教えてもらう」こと(音楽ナタリー、2023 年 7 月)。
制作のなかで、米津はあることに気づく。宮崎もまた、宮沢賢治に深い思い入れを持っていた。「これは自分と宮﨑さんの間にある大きな共通点だと思ったんです」(同前)。そう判断した彼は、「地球儀」の歌詞のなかに、「小岩井農場」を踏まえた一節を織り込んだ。
10 代の自分を救った詩と、6 歳のとき映画館で出会った世界。ふたつが、一つの曲のなかで結ばれた。ここまでが、彼の言葉が指し示す出来事である。ここからは、それをどう読むかの話になる。
言い直し続けるという態度
ここまでに並んだ比喩を振り返ると、米津の自己描写は驚くほど抑制されている。「普通の人」「水になじまない」「海水魚と淡水魚」、そして「」。2024 年の別のインタビューでは「これまで真面目にやりすぎたなって感じたんですよ」と過去を突き放し、「もう一度赤ちゃんに戻ってみることを思ったんですよね」と続けた(講談社『with digital』、2024 年)。「軽やかでいたいですね。一つひとつ軽やかに乗り越えていけるようになりたい」とも述べる(同 vol.2)。比喩はどれも、日常の語彙のなかから選ばれている。
ここから読めるのは、違和感をラベルで閉じない態度である。自分の感覚を一つの呼び名で固定することを慎重に避け、必要なときに別の比喩を選び直す。「水になじまない」感覚そのものは手放さないまま、それとの付き合い方だけが「軽やかに」と更新されていく。彼自身の表現では「いくら考えても『頑張ってもどうしようもないけど、頑張るしかないんだ』」(同誌 vol.2)という諦観混じりの現実認識が、その軽やかさの前提にある。
発言の扱いについても、彼は同じ抑制を利かせる。「自分で自分を整理して『こういうことなのかな?』と自分で自分を整えている。あんまり俺が言った言葉に対して、全部信じてくれなくても構わない」(Billboard JAPAN、2025 年)。発言は固定された真実ではなく、その場かぎりの自己整理である──この認識が、9 年比喩を更新し続ける行為と並んで立つ。賢治のザネリに自分を置き、賢治の一節を「地球儀」に編み込むという身振りは、違和感を抱えた者の居場所を作品のなかに用意してきた系譜への、一曲のなかでの自己定位とも読める。
2025 年初頭の楽曲「」(TVアニメ『メダリスト』主題歌)を、彼は中学生のころの手法に戻り、すべて自分で DTM 打ち込みで制作したと語っている(音楽ナタリー、2025 年)。9 年言い直し続けた手が、いちばん最初の手つきに戻る。
冒頭のザネリに戻る。主役ではない子に自分を重ねた歌い手は、その感覚を克服の物語に書き換えなかった。答えを出さずに、9 年おなじ問いのそばに戻ってくること。それ自体が、この人が作品の外に残してきた態度なのだと思う。では、あなたが自分の違和感に与えている言葉は、いつ選んだものだろうか。
主要作品の年表をひらく
主要作品Works Timeline
- 2012dioramaアルバム(REISSUE RECORDS)米津玄師名義 1st アルバム。全 14 曲、作詞・作曲・歌唱・アートワーク全て本人。
- 2014YANKEEアルバム(REISSUE RECORDS / ユニバーサルシグマ)メジャー 1st、通算 2nd アルバム。「アイネクライネ」収録。
- 2015Bremenアルバム(REISSUE RECORDS / ユニバーサルシグマ)3rd アルバム、全 14 曲。「アンビリーバーズ」「Flowerwall」など CM 楽曲収録。
- 2017ピースサインシングル(REISSUE RECORDS / Sony Music Labels)TV アニメ『僕のヒーローアカデミア』第 2 期 OP。米津玄師初のアニメ主題歌。
- 2017BOOTLEGアルバム(REISSUE RECORDS / Sony Music Labels)4th アルバム。「ピースサイン」「orion」「打上花火」セルフカバーを収録。
- 2018Lemonシングル(REISSUE RECORDS / Sony Music Labels)TBS 金曜ドラマ『アンナチュラル』主題歌。レコード協会史上最速 100 万 DL 達成。
- 2019海の幽霊シングル(REISSUE RECORDS / Sony Music Labels (配信限定))劇場アニメ『海獣の子供』主題歌。米津玄師として初の映画主題歌。
- 2020STRAY SHEEPアルバム(REISSUE RECORDS / Sony Music Labels)5th アルバム、全 15 曲。「Lemon」「馬と鹿」「感電」「パプリカ」収録。
つながり
- 宮沢賢治
先駆 — 米津が自分を重ねたのは主役ではなく、脇役のザネリ。それを書いた詩人は、生前ほぼ無名のまま死んだ。
- 吉野源三郎
共鳴 — 「君たちはどう生きるか」という問いは、1937年の児童書から映画へ、そして主題歌へ渡った。
- 宮崎駿
伴走 — 主題歌「地球儀」に4年。米津が「父親のような存在」と呼んだ監督は、80代でもう一度長編に戻ってきた。
生きた跡を辿るPlaces
米津玄師が歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。
- 徳島市(出身地)生誕
徳島市, 日本
1991年生まれ。津田町で育ち、「海と山が近い感じ」「徳島の風景が自分の比喩の母型」と複数のインタビューで語っている
地図で見る →確認 2026-05-02 - アスティとくしまゆかり
徳島市, 日本
徳島県立の大型ホール。米津玄師は2019年1月、地元・徳島でのアリーナツアー「脊椎がオパールになる頃」をここから開始し、2023年「空想」ツアーでも公演。地元凱旋の象徴的会場
- 大塚国際美術館記念館
鳴門市, 日本
徳島県鳴門市の陶板名画美術館。2018年NHK紅白歌合戦で米津玄師が「Lemon」を初出場・地元中継で歌唱したシスティーナ・ホールがある。8thシングル「Lemon」の特大ジャケット陶板も常設展示
さらに辿るならExternal References
米津玄師を別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「米津玄師」項
WikipediaEnglishWikipedia English — "Kenshi Yonezu"
出典 Citations
- インタビュー
少年期と『Bremen』を語る最初期の本格 long interview。「俺はずっと、普通の人になりたかった」「ブレーメンに着かない」など Theme C の起点 quote が含まれる(rockinon.com 公開抜粋)。
ROCKIN'ON JAPAN 2015 年 11 月号 米津玄師 2 万字インタビュー特集, 2015-09 ▸
- インタビュー
『ピースサイン』『Lemon』『馬と鹿』『STRAY SHEEP』『地球儀』『Plazma / BOW AND ARROW』など、楽曲リリース時の本人インタビューを web 公開。創作論・宮崎駿との交流など primary source。
音楽ナタリー 米津玄師インタビューシリーズ, 2017–2025 ▸
- インタビュー
「水になじまない人間だという自意識」「あなたはどういう人なの?という興味」など、2024 年時点の自己描写と他者観の primary source。
Yahoo! ニュースオリジナル特集「米津玄師が語る、AI 時代の音楽との向き合い方」, 2024-08-17 ▸
- インタビュー
「真面目すぎた」「赤ちゃんに戻る」「軽やかに」など 30 代の自己更新を語る long interview。Theme C 後半の主要 source。
講談社 with digital 米津玄師ロングインタビュー vol.1 / vol.2, 2024 ▸
- 公式発言
楽曲書き下ろしコメント(「感電」「海の幽霊」「灰色と青」)、本人 diary(「スランプ」「野暮」「picnic」)など、媒体を介さない一次資料。
米津玄師 official site reissuerecords.net 公式 statement / diary, 2014– ▸
- インタビュー
2025 年初のワールドツアー JUNK 完走と新譜 2 曲を語る cover story。「自分で自分を整理して…全部信じてくれなくても構わない」などインタビュー観の self-skepticism quote source。
Billboard JAPAN「米津玄師 初のワールドツアーと『Plazma / BOW AND ARROW』」, 2025-06-24 ▸
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