本文へスキップ
φPhiloGlyph
C

レヴィ=ストロース

Claude Lévi-Strauss·1908–2009·フランス·

文字を知らない首長は、 なぜ「書くふり」をしたのか?

アマゾンの先住民と神話のなかに人類共通の構造を探り、文明観を転倒させた人類学者

  • 構造主義
  • 神話論理
  • 野生の思考
二つの大戦が世界を壊し、「文明が一番進んでいる」という自信が揺らぎ始めた時代。 — ひらく

時代の空気

1908年生まれ、二度の大戦と植民地体制の崩壊を貫いて生きた世紀の証人。1935年に教員派遣でサンパウロ大学へ渡り、ブラジル内陸のマト・グロッソやのちのロンドニア地域でボロロ・ナンビクワラを踏査した時期は、欧州ファシズムの台頭期にあたる。1940年のドイツ軍占領下でユダヤ系の彼はヴィシー政権に教職資格を剥奪され、1941年ロックフェラー財団の救援でニューヨークへ亡命、ブルトンらと同船した。戦後パリは実存主義と構造主義が交差し、1960年代以降アルジェリア独立など脱植民地化が進むなかで人類学の前提が問い直された。

01波線を引く首長

ブラジルの奥地に、という先住民の人びとが暮らしていた。彼らは文字を持たない。読むことも、書くこともしない。その野営地やえいち(旅先で寝泊まりする場)で、若いフランス人学者は不思議な場面を目にする。

集団の首長が、羽ペンを手に取った。そして紙の上に、意味のない波線を引いてみせた。文字を知らないはずの首長が、「書き真似」をしたのだ。それは、自分の力をみんなに示すための振る舞いだった。

見ていた学者の名は、クロード・レヴィ=ストロース。なぜ首長は、読めもしない波線に力を託せたのか。文字とは何か。そもそも「文明」と「未開」を分ける線は、どこにあるのか。この問いは、彼の一生を貫くことになる。

時計の針を、三十年ほど巻き戻そう。彼はまだ、パリの子どもだった。

02音楽と絵に囲まれた少年

1908年11月28日、彼はベルギーのブリュッセルで生まれた。父レイモンは画家で、滞在先のこの町で息子を迎えた。一家はまもなく、パリ16区の家に戻る。両親はアルザス(フランス東部の地方)にルーツを持つユダヤ人だった。母方の祖父は、ヴェルサイユの(ユダヤ教の礼拝所)のラビ(宗教の指導者)だった。

家は音楽と文学と絵画に満ちていた。祖父の家では、ワーグナー(ドイツの作曲家)の『ニーベルングの指環』を聞いた。四つの楽劇からなるこの大作の響きは、のちに彼の代表作の背景音になる。

名門校リセ・コンドルセからパリ大学に進み、哲学を学んだ。1931年、22歳で(フランスの難関教員資格)に合格する。最年少合格者の一人だった。同期にはメルロ=ポンティ、シモーヌ・ヴェイユ、ポール・ニザンら、のちに名を残す人たちがいた。

高校で二年間、哲学を教えた。しかし彼は、哲学に幻滅げんめつし始めていた。形だけの理屈が空回りするのに退屈し、別の地平を求めた。その彼のもとへ、海の向こうから知らせが届く。

03アマゾンへの旅

1935年、フランス政府の教員派遣計画が彼を選んだ。行き先はブラジルのサンパウロ大学、社会学の教授職だ。26歳。妻ディナとともに大西洋を渡った。任期は1938年までだった。

大学で教えるかたわら、彼は内陸への踏査とうさ(実地に歩いて調べる旅)を重ねた。マト・グロッソ州から、のちにロンドニア州と呼ばれるアマゾンの奥地へ。カドゥヴェオ、ボロロ、ナンビクワラ、トゥピ=カワイブ。先住民の諸集団を訪ね、家族のつながり、体の飾り、神話、夢を記録した。

首長が波線を引いたあの場面も、この旅の中で目撃した。文字のない社会は、遅れた社会なのか。彼が自分の目で見たものは、その思い込みを裏切っていた。旅の記憶はやがて、十数年を経て一冊の本に結晶する。

だがその前に、ヨーロッパで戦争が始まる。

04亡命者のニューヨーク

1939年、第二次世界大戦が始まった。彼はフランスに戻り、兵士として動員された。翌1940年、ドイツ軍がフランスを占領する。ユダヤ系の彼は、ヴィシー政権(占領下でドイツに協力したフランスの政府)に教職資格を奪われた。教壇に立つ道が、閉ざされたのだ。

1941年、ロックフェラー財団(アメリカの援助団体)の救援プログラムが彼を救う。マルセイユの港から船に乗り、ニューヨークへ亡命した。32歳だった。同じ船には、詩人アンドレ・ブルトンや作家ヴィクトル・セルジュもいた。

ニューヨークでは、亡命した知識人たちが自分たちの学び舎を作っていた。エコール・リーブル・デ・オート・エチュード(École Libre des Hautes Études)。1941年に「社会研究のための新しい学校(New School for Social Research)」の中に設立された、自治的な研究機関だ。彼はここで教えた。

そして決定的な出会いが訪れる。ロシア生まれの言語学者、だ。二人は隣どうしの部屋で教え、毎日のように議論した。ヤコブソンが語る音韻論おんいんろん(ことばの音のしくみを研究する学問)は、彼の中で人類学と結びついていく。「が生まれたのは、ニューヨーク公共図書館の片隅だった」と、彼は後に振り返る。

音の理屈で、人間の結婚まで読み解けるのか。戦後のパリで、彼はそれを証明しにかかる。

05結婚の規則を解く

戦後パリに戻った彼は、大きな論文に取り組んだ。1948年に提出し、翌1949年に刊行された『』である。もう一本の論文では、ナンビクワラの家族と社会の暮らしをまとめた。

世界中のどの社会にも、共通する決まりがある。近い血縁との結婚を禁じる、インセスト禁忌だ。なぜ人類は、そろってこれを守るのか。彼の答えはこうだ。それは生き物としての本能ではなく、「交換」の規則なのだ、と。

自分の集団の娘や姉妹を、よその集団へ嫁がせる。代わりに、よその集団から花嫁を迎える。このが集団どうしを結び、社会を作る。ことばのやり取り、品物のやり取りと並ぶ、人間社会の土台の一つだという。

この一冊で、彼は世界的な人類学者になった。1950年には、パリの高等研究実習院で研究を指導する職に就く。かつて哲学に退屈した男が、人間社会を解く鍵をつかみ始めていた。そして次の一冊は、学問の壁を越えて世間を揺らすことになる。

06旅嫌いが書いた旅の本

1955年、46歳。出版社プロンの依頼で、ブラジル踏査を回想する本を書いた。『』(Tristes Tropiques)である。500ページのこの本は、「私は旅行が嫌いだ、探検家が嫌いだ」という一文で始まる。

旅の本が、旅嫌いの宣言から始まる。この矛盾には理由があった。彼が旅で見たのは、珍しい「未開」の世界ではない。西洋と接したせいで、固有の暮らしのかたちを失っていく人びとだった。熱帯が「悲しい」のは、遅れているからではない。壊され続けているからだ。

「文明と未開」「進歩と停滞」。そんな(物事を二つに分けて優劣をつける見方)は、ヨーロッパの幻想だと彼は書いた。本はフランス文学界に衝撃を与えた。ゴンクール賞(フランスで最も有名な文学賞)の選考委員は「小説ではないが賞を与えたい」と公式声明を出した。規約のため、賞は授与できなかった。以後、彼は国民的な文化人になっていく。

では、その「未開」とされた人びとの頭の中は、実際にはどう働いているのか。

07『野生の思考』、首長の謎に戻る

1959年、50歳。フランス学問の最高峰、コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座教授に就任した。1960年には社会人類学研究室を創設し、若い研究者たちを育てた。以後1982年まで、この椅子で講義を続けることになる。

1962年、『』(La Pensée sauvage)を刊行する。「野生の思考」とは、未開人だけの思考ではない。人類みんなが持っている、具体的な物で考える論理のことだ。手近な材料を組み合わせて物を作る器用仕事、。それを行う人がブリコルール(器用仕事人)だ。神話を生む思考もそれに似て、動物、植物、星、色といった感覚できる物を組み合わせ、世界を秩序立てる。

同じ本で、彼は当代一の有名哲学者サルトルと正面から対立した。人間の歴史こそ特別だと考えるサルトルに、彼は譲らなかった。この論争は、フランス思想の地図を塗り替えていく。1964年からは『』(Mythologiques)全四巻に取りかかった。南北アメリカの800近い神話を、たがいにつながる一つの体系として読む大仕事だ。少年の日に聞いたワーグナーの四部楽劇のように、本も四巻で組み立てられた。

ここで、あのナンビクワラの野営地を思い出してほしい。文字を知らない首長は、なぜ波線を引いたのか。文字は、知識である前に、人を従わせる力として社会に絡みつくことがある。だから首長は「書き真似」だけで、権威を演出できたのだ。そして文字のない社会の思考は、劣ってなどいない。組み立て方が、違うだけなのだ。

未開人の思考は、劣っているのではない、構造の仕方が違うのだ。

1962年『野生の思考』第1章「具体の科学」の中核論旨(趣旨の意訳)。サルトルとの論争のさなかに世へ出た一冊の核心

08100歳の証人

1973年5月24日、64歳。(フランス語を守る最高権威の学術団体)の会員に選出された。作家モンテルランの後任、第29席である。伝統と格式を重んじるこの機関への加入を、一部の左派知識人はいぶかしがった。だが彼は「沈黙と儀礼ぎれいの研究者」として、緑の礼服と剣に身を包んだ。

1982年にコレージュ・ド・フランスを退任した後も、自宅で書き続けた。『やきもち焼きの土器つくり』(1985)、『大山猫の物語』(1991)、『みる きく よむ』(1993)。筆は晩年まで止まらなかった。

2008年11月28日、100歳を迎えた。サルコジ大統領が自宅を訪れ、フランス全土で祝祭が行われた。翌2009年10月30日、パリ16区の自宅で老衰ろうすいのため息を引き取った。二つの大戦と植民地の時代を見届けた、100年の生涯だった。

四日後の11月3日、コート=ドール県の小村リニェロルの墓地に、家族のみで埋葬まいそうされた。パリでは、アカデミー・フランセーズの鐘が鳴った。「文明」と「未開」を分けるあの線は、彼の死後、本当に消えただろうか。私たちは今も、自分の物差しだけで誰かを測ってはいないだろうか。

09深読み — 構造という方法

物語の背後にある方法を、専門的に整理しておく。出発点は、ヤコブソンが説いたソシュールとプラハ学派のである。音素は個別の実体ではなく、差異の体系のなかの関係として意味を持つ。レヴィ=ストロースはこの発想を人類学へ移植し、親族体系や神話を関係の構造として読む扉を開いた。言語学の音韻論的発想の移植こそが、60年代フランス思想の地形を一変させた構造主義の核である。

『親族の基本構造』(Les Structures élémentaires de la parenté)の中心命題は、インセスト禁忌(近親婚の禁止)が自然と文化の結節点けっせつてんにあるということだ。近親との交配の禁止は生物学的事実ではなく交換の規則であり、女性交換は言葉の交換・財の交換と並ぶ、社会を成立させる三つの基礎の一つとされる。これはの『贈与論』を、音韻論の発想で再構成する試みだった。副論文は『ナンビクワラ・インディアンの家族生活および社会生活』。制度面では1950年、高等研究実習院(EPHE、第VI部がのちEHESSの母胎となる)第V部「無文字社会の比較宗教」研究指導職に就任し、その系譜はモース→モーリス・ルーネ=ハルト→レヴィ=ストロースと継がれる。

踏査の対象地域は、マト・グロッソ州と、のちにロンドニア州(1981年発足)となるアマゾン地域である。ナンビクワラの首長の「書き真似」の観察は、文字が社会的権力にどう絡みつくかという主題を開き、のちに『』でデリダが詳細に論じる主題となった。『悲しき熱帯』は人類学書、旅行記、哲学的エッセイ、地質学的瞑想めいそう渾然一体こんぜんいったいとなった書物であり、西洋による「未開」社会の破壊への哀悼あいとうが貫かれている。

『野生の思考』のサルトル批判は、歴史・主体・実践を人間理解の特権的な場に置いた『弁証法的理性批判』に対し、歴史もまた一つのコードに過ぎず、野生の思考も分類と全体化の論理を持つと応じるものだった。この応酬は、構造主義と実存主義的・人間主義的マルクス主義の対立を象徴する争点となる。『神話論理』四巻(『生のものと火を通したもの』『蜜から灰へ』『食卓作法の起源』『裸の人』)は、南北アメリカの800近い神話を相互に変換される体系として分析する壮大な試みであり、個々の神話は独立せず、他の神話の変換として相互に結びつく構造を成す。

10主要な出来事と著作

  1. ブリュッセルのユダヤ系フランス人家庭に誕生
  2. 哲学アグレガシオン合格。リセで哲学を教える
  3. サンパウロ大学社会学教授。マト・グロッソおよびアマゾンでボロロ・ナンビクワラらを踏査
  4. ニューヨーク亡命。ヤコブソンと出会い、構造主義を着想
  5. 国家博士論文『親族の基本構造』1948年提出、1949年刊行。EPHE第V部で研究指導職就任(1950年)
  6. 『悲しき熱帯』刊行。ゴンクール賞委員会が異例の声明
  7. コレージュ・ド・フランス社会人類学講座教授就任
  8. 『野生の思考』刊行、サルトル論争
  9. 『神話論理』四巻刊行
  10. アカデミー・フランセーズ会員選出(5月24日、第29席、64歳)
  11. コレージュ・ド・フランス退任
  12. 100歳を迎える。サルコジ大統領が自宅訪問
  13. 10月30日、パリの自宅で死去。リニェロル村の墓地に埋葬

残した思想の輪郭

  • 構造としての親族 ― インセスト禁忌は女性交換の規則で、自然と文化の結節点に位置する
  • 野生の思考(具体の論理) ― 神話的思考は未開の段階ではなく、人類共通のブリコラージュ的論理
  • 神話の変換体系 ― 個々の神話は独立せず、他の神話の変換として相互に結びつく構造を成す
  • ブリコラージュ ― 手元の素材を組み合わせて意味を生む実践、西洋的な工学的設計とは別の知性
  • 西洋中心主義の批判 ― 「未開」「文明」の二項対立は進歩史観の幻想であり、文化に優劣はない
  • 構造主義の確立 ― 言語学の音韻論的発想を人類学へ移植し、60年代フランス思想の地形を一変させた
2009年10月30日、パリの自宅で死去。100歳。コート=ドール県リニェロル(Lignerolles)の村の墓地に埋葬された。

つながり

全体のつながりを見る →

さらに読むならFurther Reading

レヴィ=ストロースの思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。

※ 広告 (Amazon アソシエイト)。リンクから書籍を購入されると、 PhiloGlyph に紹介料が支払われる場合があります。詳細は プライバシーポリシー および 利用規約 を参照してください。

さらに辿るならExternal References

レヴィ=ストロースを別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。